退職してからの一年間で感じた自由、不安、そして小さな進歩

テカリが出来たスペースキーは自分の社会人歴が生み出した個性 解放された日常

会社を辞めると、すぐに何かが劇的に変わるのでは、という微かな期待がありました。しかし現実に訪れたのは想像とは少し違う刺激の少ない毎日。

退職直後の解放感、変化のない日々への戸惑い、そして継続してきた小さな習慣。それらが少しずつ私の自由なライフスタイルを形づくっていきます。

会社員を卒業してから1年が経つまでのリアルな日常と心境の変化の記録をここにまとめてみました。

自由と不安のあいだで揺れながらも小さな手応えが積み重なっていった一年です。良かったことも迷いも、そのまま書き留めた記録になっています。

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退職直後2週間経った時点での記録

3月末に会社を退職し自由な身になってから2週間が経ちました。

この時期に定年を迎え再雇用された方達とは違い、まだ少しだけ若い私は獲得した自由とともに自分の力で収入を得ることへの挑戦に挑むことになります。

自由は始まりであってゴールではありません。嬉しさと同時に、これから自分で組み立てていく重さも確かに感じました。

やりたいことに集中する毎日

退職した翌日からも、慣れた時間通りに起床し規則正しい生活を繰り返しています。そして、これまで以上に身体を動かす時間を増やすことにしました。

これからは仕事の時間を、好きな時間に割り振ることができます。

気分次第で、朝起きてすぐにとりかかり、その分ときには昼過ぎには早めに仕事を切り上げたり、もちろん気分がのって調子がよいときには夜遅くまで頑張ったりもします。

集中できる日ほど、本当にこれでいいのかという小さな問いが頭をよぎります。自分の裁量で動ける喜びと、結果をすべて引き受ける緊張が同居していた時期です。

ナチュラルな自分へのリカバリー

これは自分だけかもしれませんが、3月までは会社を辞めることに対しての後ろめたさや、誰かへの不満を表に出すことなく平穏に最後まで過ごすことが、それなりに強いストレスだったようです。

当初、4月からは新しい仕事に向けて全力でかかるつもりでしたが、受けたストレスに対してリハビリというか、自分のコンディションを正常な状態までリカバリーする必要があるのではと強く感じました。

そんなわけで、準備を始めた仕事の合間に開花が進んだ桜の写真を撮り歩くことに。

私の住んでいる南東北の地域では、桜が咲き始めてから満開までの期間が他の地域より短いようで、これまでの会社勤めの身で天気の良い日に桜の写真を撮る時間を確保するのが難しかったです。

先に書いた、身体を動かす時間の確保に加え、天気が良ければカメラを手に桜の木の下へ行くというプライベートにおける複数のタスク処理というのが結構な難易度でした。(もちろん充実が残る難しさ)

これからは仕事も大切にしつつ手に入れた自由な時間を有効に生かせるよう過ごしたいと考えています。

以前のように満開の短い時間に間に合うかどうか焦らずに出かけられたこと自体が、狙い通り自己の回復につながった効果はあったようです。

景色に心を合わせる余裕が戻るほどに、体にあった無駄な力みも抜けていきました。

仕事を辞めてから3か月が経過したが特に変化はなく進歩もない

仕事を辞めてから3か月経つが特に状況は変わらず躍進も落ち込みもない毎日を過ごしています。

特に体制に影響がないところでは、通っていたフィットネスジムを今月いっぱいでやめることにしました。

目に見える結果が出ない時間は、ときに無駄な時間に感じます。それでも、何が育っているかはその最中には分からないものだと自分に言い聞かせていました。

3か月経つも変わらぬ毎日

退職してすべての縛りから自由になってから時間がたちますが、特に何かが軌道に乗ったというわけでなく、相変わらず雲をもつかめない日々。

少し気になるのは、結果が出ないわりに毎日何かしらの作業には夢中になっていて、自宅の丸いテーブルでパソコン作業をしていたら(丸いテーブルは肘を手前に引けない姿勢になる)マウスを操作するほうの左肩を前に突き出す姿勢をとりすぎたらしく、肩に少し痛みが出はじめているくらいでしょか。

当記事のアイキャッチに使った持ち出し用のPCのスペースキーにテカリが出来てきたのは、それだけ文字を変換して打ち込んだということでしょう。

文字変換するとき、左の親指をつかうので左からテカリが進行するのは随分昔からでしたが、そんな癖があるんだと今頃気が付きました。

雇われの身ではそんなことに気づく時間はありません。気持ちに余裕があるということは大事だとあらためて気づかされます。

会社を辞めるにあったって、このサイトにテキストコンテンツを書き始めたころに「自分の好きを仕事にする」ことについて取り上げた記事を投稿しています。

ベテラン世代こそ『好きを仕事に』を実現できる!脱サラ成功のヒント

また、自分の好きなことを毎日続けるのは本当に苦痛が少なくて驚くとともに、そんなことについてだけは感激しているところでもあります。

しかし、あまりにも休みなく作業に没頭し3か月目となると、そろそろ何処かに支障が出てくるのではと心配し始めたりも・・。

結果は見えなくても、手は止まっていない。肩の違和感やキーのテカリのような小さな痕跡が積み重ねの証明です。進歩は時に、そんな地味なところにも現れるのかもしれません。

思ったようにことが進まないことに焦らない

ことが思ったように進まないため、そろそろアルバイトを考えなくてはならないかなと思い始めてもいますが、こちらの課題は切羽詰まるより早めにゆるく始めたほうがよいとも考えています。

ただし、あまり早急にアルバイトに手を付けても、後々頑張りが足りなかったから軌道に乗らなかったと後悔することにならないかを考えると日々の作業に一層力が入ります。

そして、脱サラを決意しても考えが変わらないのは、この先もできれば誰かに雇われることは極力けたいということ。

会社員として定年まで続けることができなかった自分が、再びどこかで雇われて上手くいくはずがないのと、せっかく手に入れた自由を、そう易々と手放すわけにはいきません。

こうして、ことが進まないことより会社という組織から穏便に身を引くことだって大変だったのですから、少人数のグループだろうが会社だろうが、よその組織に再び加わることによって簡単に抜け出せなくことになるのは何より不便とも考えます。

3か月経ちましたが、まだ3か月でもあります。

焦らず自分の信じたことに向かって集中したい頃であります。

それから、やめることにしたジム通いは何とか今年中に復活させたいと強く思っています。

雇われない選択は楽ではありません。戻らないと決めた以上、歩幅を一定に保つことが自分を守る方法だと感じていました。焦りは視野を狭めます。見える範囲を保ち続けることに意味があることでしょう。

どん底で動けないときこそ「整える力」が大事【外見・環境・習慣が次のチャンスを呼び込む】

会社を辞めてから1年が経過

昨年会社を辞めてから、また新しい春を迎えました。

何かに落ち込んだり焦ったりは普通にありますが、楽しくない会社へ通うことを考えると行動して良かったとは思います。

選んだ結果に責任を持つという静かな覚悟が、少しずつ骨に染みてきました。大きな変化はなくても、日々の手触りは確かに変わっています。

誰にも雇われることがなかった一年間

脱サラをしてから1年が経過したことになりますが、この1年間ほぼ生活に変化は見えていません。

昨年の夏の終わり頃から当サイトの更新が控えめになっていましたが少々考えることがあってのこと。

とは言っても、この記事を書いている時点でも何処かへ働きに行ったということはなく、アルバイトも一切していません。

逆に、少しだけなら時給労働でもしても良いかもと思い始めていて、そちらの方へ舵を切ろうとしているところです。

収入の波は大きくありませんでしたが、舵は自分で握ってきました。迷いは消えないままでも迷いながら進む術も少しずつ上達できているようです。

意識して継続してきた『ウォーキング』

会社を辞めて、個人の働きだけでは収入が安定しないとなるとやはり不安になりますが、この一年間、仕事とは別に意識して継続してきたことがあります。

それは、できるだけ時間を作って外を歩くということでした。

本当はランニングにしたかったのですが、左足の裏に痛みがあったので、運動による負荷が少ないウォーキングに方向転換しています。

独立して、自分だけの力で収入を得て暮らしていこうと考えると、どうしても無理をしたり思い通りに行かずストレスを抱えたりするのは会社を辞める前から予想していたことでした。

何かに悩んで、その都度悶々とするより負のエネルギーを向けどころみたいなモノを最初から用意しておこうと考えたわけです。

この1年、けして快適な生活を送れてはいませんが、心身を病むことなく過ごせてきたのは、ウォーキングによる運動の継続をしてきたことで不安やマイナス思考をため込むことなく消化できてきたからではないかと思っています。

今日も一歩進めたら、それは昨日より前に前進できたということ。数字にならない進歩を信じる練習になり、気分的な余裕を取り戻す時間にもなりました。

活力を生み出す習慣術:独立しても行動し続けるための5つのヒント

1年を経過しその後も変わらぬ生活

ここにまとめた記録は、退職後の2週間、3か月、1年という期間を経過した時点で、それぞれ分けて投稿していたものを1つのページとしてまとめたものです。

退職してからの一年は、劇的な逆転よりも静かな積み重ねの連続。自由と不安は並走し、結果の出ない日も確かにありました。

それでも、自分で選んだ時間を生きることには価値があり、小さな習慣が自分を守り、見えないところで自分の大事な基盤を育ててくれています。

もし同じ場所に立っている人がいたら、急がずに歩幅を決めて歩くことをすすめます。大きく跳ばなくても、その一歩の前進が確実な歩みになること期待を込めて。

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