私たちは企業や公的団体などに就職すると当たり前に週5日の勤務態勢に従うことになる。
これの良くないところは仕事の内容が過酷だったり、酷く詰まらかったり職場の企業価値が乏しいでも働く日数はほぼ変わらないということ。
週に5日も他人を働かせたいとか正気か?
私たちは、子供のころから学校で教育を受けていく過程を終える最終段階で就職活動をすることになります。
学校を卒業した後は自分の希望に見合った職場に就職したほうが生活が安定するし、何しろそれが世の中の普通であるからです。
しかし、世の中の限られた一定数の方は、自分の実力または運やコネクションにより会社を経営する側、人を雇う側の立場に回ります。
一般の多くの人は当たり前に週に5日働くことを強いられることになりますが、この一部の限られた人たちにとっては逆に当たり前に週に5日他人を働かせることになります。
しかし、世の中が(経済が)正しく健全に回り続けているのは、このシステムが正しく機能しているからこそのこと。
働く側は苦痛でしかない
理想的な働く時間は個人がそれぞれ決めることが出来れば望ましいですが、それは多くの人にとっては実現が難しい夢物語。
私自身が思うには、どこかの会社や組織に属して労働する日数は週7日のうち半分以下が理想だと考えています。
これが一度どこかに就職してしまうと労働日数は週の3分の2を超えて働くことになります。
私たちは理想よりも過剰に働かされる人生を送るのが当たり前なのです。
そして、こうした労働生活を順調に過ごしていけるかには個人差があって、週末に訪れる休日有効に使ってリフレッシュできて月曜から金曜まで頑張れる人もいれば、平日働いたあとの土日はぐったりしてしまい自由な時間をアクティブに過ごすことができない人も多いはずです。
問題は後者のほうで、そうした方はこの問題を解決する必要があるでしょうし、週に5日他人を当たり前に働かせている人に対して何か疑問を持つことがあっても良いと考えます。
稼げるシステムを持たなければ服従するしかない
普通に会社勤めを継続していけば、内部で仕事に取り組む姿勢や成績などが評価されそれなりの地位に就くことができ、自分のおかれた立場にも満足しながら定年まで働き続けることができるでしょう。
ただし、そこで働く自分を評価するのは所詮は他人であって、時に間違った評価がされたり、あらぬ差別をされてしまったりというのがあります。
職場の組織は所詮他人の集まりなので、致し方ないとはいえ自分がある程度の年代に差し掛かりこうした人間関係が解消されない、もしくは悪化するようならその不満を解消したいと考えるのは当然のことでしょう。
この問題を解消させるには、他人をどうにかするのではなく自分が独立して稼げるシステムを持つことが最善です。
へたに転職しても、また多くの他人の中で働かなければならないことになり。
週に5日労働が普通の毎日は変わりません。しかも、拘束されるのは時間の長さだけでなく平日の決まった時間帯を固定して働かされるのはどこにいってもほぼ変わらないでしょう。
もちろん、こうした疑問を解決するのは大変なことではありますが、他人から週5日拘束されるという理不尽さに気づいたら何らかの形で自分を納得させておくことは重要ではないでしょうか。