定年まで週5日働き続ける現実を問い直す【普通の働き方に未来はあるのか】

カレンダー 課題と試練

私たちが企業や公的団体に就職すると、多くの場合は週5日勤務という枠に入ります。仕事内容が過酷であっても退屈であっても日数の枠は変わりません。

この働き方の態様は、長く普通として受け入れられてきましたが、本当にそれが自分の人生にとって望ましいのかは別問題。現実をあらためて見つめ直す必要はないでしょうか。

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週に5日も他人を働かせたいとか正気か?

私たちは、子供のころから学校で教育を受けていく過程を終える最終段階で就職活動をすることになります。

学校を卒業した後は自分の希望に見合った職場に就職したほうが生活が安定するし、何しろそれが世の中の普通であるからです。

しかし、世の中の限られた一定数の方は、自分の実力または運やコネクションにより会社を経営する側、人を雇う側の立場に回ります。

一般の多くの人は当たり前に週に5日働くことを強いられることになりますが、この一部の限られた人たちにとっては逆に当たり前に週に5日他人を働かせることになります。

ここで一つ触れておきたいのが「週40時間労働」という制度の存在です。本来は労働者を守るための基準ですが、現実にはこの40時間を埋めること自体が雇用契約の前提となり、週5日勤務が当然のように固定されていきました。

働かされる側にとっては守りの制度でありながら、結果的に週5日拘束が当然視される仕組みにもなっているのです。

しかし、世の中が(経済が)正しく健全に回り続けているのは、このシステムが正しく機能しているからこそのこと。

働く側の現実:過剰な労働と消耗される休日

理想を言えば、働く日数も時間も自分で決めたいものです。私自身の理想は週の半分以下、せいぜい3日で暮らしが回る形です。

ですが現実には、一度組織に入ると週のうち5日以上が他人(組織)に拘束される時間になり、理想より過剰な労働が普通として固定されます。

日々の疲労は休日の使い方にも影響します。うまく切り替えてプライベートを満喫し、月曜から再び走れる人もいれば平日の蓄積で土日は回復だけで終わる人も少なくないでしょう。

後者にとって休日は余暇ではなく、自分をリセットするための時間になります。

このサイクルが続くと創造的な活動や再学習に回す力が残りにくいです。未来の選択肢を増やす投資が後回しになり、気づけば年単位で同じ地点を巡っている。生産と消耗の往復は視野と現実的な行動の領域を狭めます。

週5日働くこと自体を悪とする訳ではありません。問題は、選び直せる余地がどれほど残っているかです。枠を与えられたものとみなすのか、条件付きで使いこなすのかで同じ週5日でも意味は大きく変わります。

重要なのは、週のうち何時間を自分のための学びや仕組み作りに投じられているか。休日の何割が回復で消えるのか。それぞれの割合は自分にとって適正かです。

会社に評価を委ねる生き方の限界

会社員として満足を得る人は、努力が報われ昇進や役割拡大で充実を感じることもあります。

ただし、その評価基準は他者が握っています。人は人を完璧には評価できず誤解や関係のこじれは避けがたいものです。

そして、年代を重ねるほど評価の歪みは蓄積しやすくなります。若い頃なら跳ね返せた不一致も、責任や役割が重くなるにつれ修正が難しくなる。組織は他人の集合であり個人では変えられない領域が広がっています。

多くの人は普通という言葉で自分を納得させ働き続けます。納得が機能している間はまだ良いですが、崩れた途端に摩耗が増し、そこで選択を先送りすれば状況は良い方向に改善しません。

人生の舵をこの先も他人の評価に預け続けるのか。評価の土台を全否定する必要はありませんが、自分の側に舵を戻す努力は遅かれ早かれ避けられないのです。

仕組みを自分に取り戻す「稼げる土台」の作り方

週5日という枠を根本から変えたいなら、他人や縛られている規則を責めるより先に自分側に収入の仕組みを持つ必要があります。

転職は環境を変えますが日数の枠はそのまま引き継がれる。枠組みから完全に逃れるには仕組みが要ります。

独立や副業は容易ではありませんが不可能でもありません。近年は副業を認める企業が増え、平日夜や週末に小さな仕組みを立ち上げる人が増加しました。

労働時間の切り売りに終始せず、テンプレート化や商品化、技術を生かした情報の提供などへ寄せれば、会社依存を少しずつ下げられます。

出発点は自分の強みの切り出しと再構築です。社内で評価された断片、例えば資料の作成、業務フローの整備、調査や分析などを外に通用する形に磨き直します。

その磨き直しのための時間の確保も課題になるでしょう。ここは最近よく耳にする「やらないことを決める」テクニックが有効かもしれません。

週単位で投じる時間を固定し、やることリストではなく「やらないことリスト」を先に作る。自分の時間を守り抜くことでしか将来の資産となり得る仕組みを育てましょう。

週5日労働の先に明るいビジョンは描けるのか

週に5日働くという枠は社会の安定には寄与してきましたが個人の充足を保証しません。普通という言葉の裏には安心と同時に、見えにくい代償が潜んでいます。

時間、体力、学びの手段、個人間の関係形成。どれも未来を形づくる材料であって、自分はこれらを意識できる環境にあるかと、ときに立ち止まる必要があるかもしれません。

現状維持のままでは理想とする明るいビジョンは描きにくいでしょう。日々を過ごすだけで、未来に投資する余力が足りないからです。それでも人は普通に寄り縋ります。普通は温かいですが、ときに視野を狭めます。

閉塞感を感情の問題として流さず、具体策に落とし込むことが大切ではないでしょうか。週のうち何時間を自分の仕組みに投じられているか。休日の何割が回復で消えるか。数値化で見えるものは必ず動かせます。

既存の枠組みを全否定する必要はありません。安心を土台に小さな行動を積み上げれば外側への道筋は開けます。

この問いは他人が答えを用意できません。週5日労働の先にビジョンを描けるのか。普通に寄りかかり、それを土台に別の選択を重ねるのか。別に自分で道を切り開くのか。選ぶ権利は、いつも自分の側にあります。

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