退職して自由を得た直後、多くの人が最初に直面するのが住民税の納付書です。
会社員時代は給料から天引きされていたため目にする機会が少なかったものの、退職後は容赦なく納付書が届き、まとまった金額を一括で支払う現実が突きつけられます。
あらためて衝撃を受ける納税額
住民税の納付書が届いたのは退職から数か月経った6月半ばのことでした。封筒を開けて記載されている金額を見た瞬間、思わず言葉を失いました。高額所得者ではないつもりでしたが、思いのほか多くの金額を課税されている現実に直面すると、人並みに給与をもらっていたことを嫌でも実感させられます。
調べてみると「前年の所得の約10%が翌年の住民税になる」と書かれているサイトは多く、事前にも知識としては得ていたつもりです。
しかし、それを本気で自分事として捉えきれておらず。頭で理解しているのと実際に請求を受けるのとでは天と地ほどの差があると痛感しました。
それでも私は「後には引けない」と覚悟しています。退職前に戻って会社員生活をやり直す気持ちはなく、同じ環境に身を置きたいとは到底思えません。大きな請求は確かに衝撃でしたが、その瞬間こそ自由を得た証でもあると割り切るようにしました。
納付書を手にしたときの感覚は「これが自由の代償なのか」というものです。金額は想定外であっても、この現実を受け止めなければ先へ進むことはできません。冷や汗をかきながらも、私は支払いに向き合う決意を固めました。
結局のところ、衝撃は一瞬であり、その後どう行動するかがすべてだと自分に言い聞かせています。
支払わなければならない住民税
どれほど不満を抱いても、住民税は支払わなければなりません。私にとって想定外だったとはいえ、情報自体は溢れており、耳を塞いでいた自分の責任でもありました。制度は万人に平等で、例外はないのです。
「高い」「払いたくない」と嘆いても、請求がなくなるわけではありません。重要なのは、自分の生活や働き方をどう守るかです。私は今の自由なワークスタイルをとても気に入っていて自由を失いたくはありません。
そのために考えたのは、アルバイトという選択肢。本業となる事業準備を軸にしつつ、当座のキャッシュを補う手段として少しの労働を織り交ぜる。それで住民税をやりくりしながら自由を保ちたいと考えました。(※その後、貯えを削りながら納付し結局アルバイトはしませんでした)
退職直後に訪れる住民税の納付は、まさに最初にして最大の試練とも言える出来事です。自由には責任が伴い、経済的な負担はその象徴でもあります。この瞬間にどう気持ちを整えるかが独立後の姿勢を決定づけるのだと思います。
本音を言えば、住民税を気にしている余裕はない
とはいえ、冷静に言えば私は事業準備に全力を注いでいた時期であり住民税に気を取られている暇などありません。
市場調査、サービスの構築、情報発信の準備。やるべきことは山ほどあり、税金に思考を割く余裕は正直なところありません。
サラリーマンが独立して成果を出すためには、徹底的に集中して臨むしかありません。周囲の不安を振り払ってでも事業準備に突き進む姿勢がなければ、大きな結果を得ることはできないでしょう。その意味では、住民税の衝撃すら「覚悟を確かめる試練」だと考えます。
もちろん支払うべき義務を放棄することはできません。しかし、退職直後の数か月は「どれだけ事業準備に時間を投じられるか」が勝負です。ここで立ち止まってしまえば、せっかく得た自由の時間を浪費してしまいます。
私は「税金の心配をしていては夢を掴めない」と割り切り、住民税は必要経費として受け止め頭の中の優先順位を下げました。自由を選んだ以上、最大のエネルギーは未来の仕組みづくりに向けるべきだと感じています。
本音を言えば、住民税は「後でなんとかするもの」であり、いま集中すべきは事業準備そのものなのです。
必ず訪れる高額の出費に備える姿勢
一通り、理想論の話をさせていただいたところですが、この私も住民税はやむを得ず手持ちから支払っています。
住民税という出費は必ず訪れます。退職して間もなく、蓄えが減り始めた頃にやってくるため多くの人にとって集中を妨げる負担となるのが避けられません。
ここからは現実的な出費に対する考え方と姿勢についてのお話です。
同世代の方には理解してもらえると思いますが、人生経験が豊富になると、お金の話には「されど」という表現が付きまとうことになります。
遅れてやってくる住民税の出費は、高額だがなるようになるさ・・と棚上げ的な思考をしても、現実的には「されど税金の支払いは、今までの収入について課せられたもので避けられなから、やむを得ず貯えを削って出費」といった具合に、ここでもされどが運用されます。
そう、どうすることもできず一般的な手段を取るしかなかった。
まさに「されど、支払うべきお金」という判断で、無難に対応するしかなかった。この思考に陥ってしまうことは、言わば屈辱的なことであります。
本来なら、会社を辞めたあともすぐに安定した収入が継続できて、住民税なんてのもほぼ気にすることなく支払うことができた。とやり過ごしたいところを「仕方がない」というスタンスで支払った。
このことは現実として受け止め、感じた屈辱感はプラス方向へのバネとして生かすしかありません。
退職後の道は決して平坦ではありませんが、こうした思考の障害も乗り越えるごとに確実に自分の土台は強固になり自由な働き方を守る大きな支えになるでしょう。
結局のところ、衝撃の金額に一度は心を揺さぶられたとしても、それを糧にできるかバネにできるかどうかが今後のマインドを安定させます。今回の出費は自由な扉の通行料金だったとでも受け止めて、次の挑戦に気持ちを切り替えましょう。そこには必ず支払った額以上の成果と成長が待っています。
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